米軍基地は「ふるさと」 かつての敵国の職場で50年間働いた男性がつなぐ記憶 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

相模原市の男性は、戦後、生活のために米軍基地で働き始め、施設も含めて約半世紀の間「米軍一筋」で勤務しました。「米軍基地はふるさとのような存在」。戦後の激動を生き抜いた男性の記憶とは。 #戦争の記憶 #読売新聞 #Yahooニュース

           

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当時は本当に食って行くのがやっただったと先日も別件で聞きました。田舎で児童の人身売買があって、売られた子供が漁師町で虐待されながら生活していて、中には虐待で亡くなる子供もいたそうです。その時代に新聞でそれが報じられ問題になったらしいのですが、人売りや虐待してる漁師のカシラの人は逮捕などにならなかったそうです。なぜなら、沢山の子供が住むところも食べるものもなく餓死したり、都会でストリートギャングになって泥棒したり、当然のように溢れかえってる中、仕事と食べ物と寝る場所を与えられてるというだけでもマシな生活と皆思ったそうです。そう思うと大人が戦後に基地で働いていたのは生活の為の勤労の当たり前の姿であり何もおかしくないと思います。個別の人間関係は政治的な戦争絡みとは関係ないことも多いので、敵国の基地の中といえども違う国の人同士が助け合う事もあったと思います。。。